ルーマンのカードボックス(お蔵入りの顛末)

ドイツの雑誌『シュピーゲル』に以下のような記事が掲載されていた。どうやらルーマンの伝説のカードボックスは、子どもたちの相続争いから、当分はお蔵入りになるらしい。

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ビーレフェルトの聖杯
現場検証:亡くなった偉大な思想家ニクラス・ルーマンの伝説のカードボックスを求めて


 大学の入り口にいる守衛は、袖に「ビーレフェルト警備保障」の記章をつけている。守衛は、ながながと部署一覧のページをめくってから「それはU、U棟にあります。階段を上って斜め左です」と言った。
 社会学部は、肌理の粗い洗い出し人造石の通路の向かい側にある。通路は空港なみの広さだが、談笑する学生たちの小グループで溢れている。エレベーターでU棟を上ると、「5階です」とアナウンスがある。長いコンクリート床の廊下にそってU4−208号室にいくと、そこは19平方メーターの広さで、青いポリバケツに「くず入れ」とある。「この大学はかねがね飾り気のなさを誇りにしているんです」と言うのは、アーカイブ係のマルティン・レーニング氏。「ここが彼の研究室でした。むかし彼はある会議で、U4のニクラス・ルーマンです、と自己紹介したんです」と言うのは、広報のゲルハルト・トロット氏。
 二人は話をしながら、たがいに目配せをする。
 ニクラス・ルーマンは、前世紀の最も影響力のある思想家の一人である。彼の普遍理論は、経済であれ、芸術であれ、心理であれ、法であれ、システムがどのように機能するかを記述している。彼はすべてについて書いた。ミンネザングについても、費用計算についても、鞭毛虫についても。彼の理論はいつでも使えた。ルーマンはワンマン理論製造工場だった。U4−208号室から、彼はすばらしいテクストを世界に発信した──そのテキストを見て、秘書たちは絶望的な気分になり、弟子たちは信じる気になった。彼は啓示を与える者のように書いたのである。
 自分の生産性の秘密は、ブナ材でできた24区画の分類記号のないボックス、ビーレフェルトのカードボックスである、とルーマンは説明していた。
 30年以上にわたって、ルーマンはこのボックスを使って仕事をした。彼はすべてを書き留めた。詩、中世貴族の宣誓書、専門論文の参照情報。彼は文献が「カードにとれる」かどうかを確かめ、理論の一部、関連づけの可能性を書き留め、八つ折り版のカードに文字数字併用の略記法で分類記号を書き、さまざまな順序に並べた。世界の在庫目録である。
 アーカイブ係のマルティン・レーニング氏は、ルーマンのカードボックスを1998年の彼の死後に見て開けた、数少ない一人、おそらくは唯一の人である。それもたった一度。
 「それはかなりごちゃごちゃした状態でした」と彼は思い出して言う。「カードはぎゅうぎゅう詰めだったので、ボックスの後ろからはみ出しているのもありました。なかにはカレンダーの切れ端にメモしたもの、手紙、写真、四つに破いた子どもの絵の裏側にメモしたものまでありました‥‥そう、彼の子どもたちの絵です。彼はきっと、自分が捉えることのできたすべてを書き記したにちがいありません」。
 ルーマンは、ボックスのことを木でできた人生のパートナーのように語っていた。彼がボックスを育てると、やがてボックスは成長して、しまいには独立してアイデアを生み出すようになった。ボックスは彼自身よりも賢いというわけである。
 インターネットにはルーマン・フォーラムがあり、そのなかでは弟子たちがカードボックスのことを賢者の石のように語っている。ボックスを見たいという問い合わせはとても多い、とトロット氏は言う。ボックスには碩学の全知識が隠されており、ボックスはシステムのシステムであり、すべてを貪り尽くす脳の具現化だというわけである。
 ところで、ボックスは今どこにあるのか。二人は目を合わせる。「意見の相違があります」とレーニング氏。「意見の相違です」とトロット氏。そして二人は目配せをする。
 ルーマンのカードボックスは、相続争いの渦中にある。子どもたちが、24区画のブナ材のボックスを、まるで聖杯のように争っている。娘対息子たち、息子たち対娘の対立である。ルーマンは遺言を残したが、それは彼の理論と同じように明白なものだったはずである。「公開の余地はあります」とトロット氏は言う。
 自由度、とルーマンは呼んだ。偶然性。システムの不明確さ。彼の娘は少なくとも、学問上の遺産は自分だけに相続権があるということを出発点にして、ビーレフェルト大学と保管契約を結んだ。カードボックスは、エーリングハウゼンにあるルーマンの家から大学にあるより安全な場所に持ち出され、そこでいつの日か整理され解読されるはずだった。
 だがそのとき、二人の息子が異議を唱え、ボックスを閲覧禁止にした。それ以来、誰もボックスを見ることは許されず、立ち入りも写真撮影もできない。「われわれは、ドアのところまでご案内することしかできません」とアーカイブ係は言う。
 道は、大学の敷地の斜面をのぼって、トイトブルガー・ヴァルト(トイトブルクの森)のはずれへと続く。そこには「学際研究センター(ZiF)」があり、ニットのベストを着た痩身の学者はバイエルン訛りで「ついてきてください」と言う。階段を何段かおりて、何もない蛍光灯の明かりのついた廊下にはいる。鉄扉のよこに「機械室016」とある。
 「この向こうにボックスがあります」とアーカイブ係。彼の声は、この地下では少し反響する。多くのカードが40年くらい経ったものなので、保存し、整理し、複写する必要があるのですが、と彼は言う。だが、カードを見る鍵はルーマンの頭のなかにあって、永遠に消えてしまったのではないだろうか。
 あるのは016号室に入る鍵だけで、しかも立ち入り禁止である。カードボックスをめぐる争いは、裁判にかけることができるだろう。その点について、子どもたちの意見はまだ一致していない。だが「彼らはもう話し合いをしていないはずだ」とも言われている。
 社会はコミュニケーションから成り立っている。これはルーマン理論の中心命題である。たしかにこの中心命題はカードボックスのなかにもあって、どれかのカードにメモしてあるだろう。ことによると、破いた子どもの絵の裏側かもしれない。

Alexander Smotczyk
Der Spiegel 41/2003 S.90
訳:徳安彰