「アジア経済」掲載 書評
● 石油とイスラム;社会と経済の諸問題 ●
Oystein Noreng, Oil and Islam; Social and Economic Issues, John Wily & Sons: Chichester, U.K.,etc., 1997, x+342pp.
岡野内 正(おかのうち ただし)
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著者自身も認めるように、本書は、これまでの中東・北アフリカの石油経済に関する議論と、イスラムおよびムスリム社会に関する議論との総合をめざしたものであって、何か新しい理論体系あるいは資料を用いた実証研究ではない。「政治学と経済学の教育を受け、・・・・・宗教史や文化史に学んで、政治社会学に新しい要素を付け加え」(本書ixページ)たいと企てた著者は、西欧語(英語、独語、仏語、そしてノルウェー語)の著作(二次文献)をもとにその試みを行っている。その意味で本書には、現地語文献の一応のサーヴェイを当然視する最近の地域研究の水準からいって、明らかな限界がある。また西欧語文献についても、その参照範囲と引証のしかたは、かなりランダムなものであって、なにかと論争の多い諸分野のそれぞれのトピックについて、研究史の綿密なサーヴェイに基づいて自説を展開するといったスタイルとは、ほど遠い。細分化した中東研究の各分野の専門家が、著者の参照文献目録からもれた重要文献を指摘することは容易であろう。
それにもかかわらず、本書は、きわめてユニークで刺激的な論点を提起している点で、注目に値する。それだけでなく、著者の論点は、いわゆる安全保障戦略論からみてきわめて重要である。本書は、ノルウェー政府と石油業界の資金による調査研究プロジェクト「ペトロ(PETRO)」の成果を国際社会に問う英文双書の2冊めとして刊行されたものである。周知のようにノルウェーは、北海油田のおかげでいまや石油輸出国となり、北欧諸国の中でも例外的 に良好な経済状況を保ちつつ、国民投票によってEUの枠外に留まることを選択した。戦略論的にみた著者の論点のおもしろさは、、国際社会や世界経済におけるノルウェーの独自な位置を考えるとき、際立ってくる。
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著者の基本的な主張は、次のような本書末尾の一節に集約される。
「イスラム主義の反政府派からみれば、あまりに巨額の軍事支出は、浪費を示すものであって、あってはならないことである。ところで、このようなイスラム主義からの批判は、西欧社会でも、同様に、むしろより強力に叫ばれてきたことである。この点で、イスラムの諸原理は、明らかに西欧の常識と一致している。」(本書317ページ)
著者の「イスラム主義」は、いわゆる原理主義をも含む、イスラムの伝統を基礎に社会を再建しようとする考え方を全体として指すものである(この把握は、西欧の伝統的なイスラムに対するステレオタイプ的な理解を批判する、Burgat,F., L’islamisme en face, Paris: Editions La Decouverte, 1995などの最近の著作に依拠つつ本書の中で著者独自の形で展開されている)。著者は、イラン革命からアルジェリアの事実上の内戦状態にいたる中東・北アフリカ(さらに旧ソ連の中央アジア)全体のイスラム復興の潮流を視野に入れながら、それに対して、軍縮論という「西欧の常識」の立場からエールを送っているわけである。著者はさらに続けて、次のように本書を結んでいる。
「中東および北アフリカとの関係における西側諸国の問題は、西側諸国の石油業界と兵器業界との利益が、西欧社会の常識を無視し、さらに自分たちの指導者や政策を自分たちで選択しようとする他国の人々の権利をも踏みにじる傾向にあることである。このような情況のもとで、石油政策をめぐって、西側諸国と、中東および北アフリカのイスラム主義者とが『対決』することになりかねない、明らかに危険な兆候が見られる。」(本書、317ページ)
つまり著者は、何よりも石油の安定供給を確保するために、民主主義や人権の点で一定の改革を迫りながらも、現政権よりもはるかに危険なものと考えられる反政府イスラム勢力の台頭を押さえるべく、中東諸国の現政権の枠組みを基本的に維持するという、これまでの欧米諸国の基本戦略を、拒否する。それは中東諸国に武器を輸出してもうけ、武器代金支払いのために、枯渇する天然資源である石油の安値大量供給を強いて利益をあげる、欧米の兵器業界と石油業界との当面の利益にのみ奉仕するしくみだというわけである。それは中東諸国の長期的な経済建設、国民の厚生、軍縮の推進によるこの地域の平和の維持を妨げるだけではない。多かれ少なかれ独裁的な政権を援助することによって、この地域の人々の自決権を侵して民主主義の発展を損い、民主主義と人権を愛し、その普遍的実現を追求する西欧社会の常識に反するものである、と。著者はさらに次のように付け加えることもできたであろう。それは世界市場の石油価格を押し下げ、産油国としてのノルウェーの経済的メリットをも帳消しにする、と。
もはや戦略論的にみた著者の基本的な立場は明らかであろう。欧米の兵器業界および石油業界と現在の中東産油国政府との同盟によって戦争と浪費と独裁へと至る道、それに対抗する、西欧社会の民主主義的世論(そしてノルウェーのような小産油国政府)と中東諸国のイスラム勢力との同盟によって平和を維持し、民主主義と経済の堅実な発展に至る道、これが著者が設定する2つの道の基本的対抗の図式である。この著作じたいが、そのような対抗と同盟の呼び掛けであると言ってもよい。日本の戦後民主主義の中で育ち、著者の言う「西欧社会の常識」をなにがしか共有する評者としては、著者のこの図式に強い魅力を感じることを告白せざるをえない。と同時に、このようないわば世界革命論(中東イスラム革命と西欧の民主主義改革との連帯)的な戦略論が、ノルウェー政府と石油業界との長期戦略と重なる形で提起されていることに感嘆する。パレスチナ和平合意に至る過程でこの国が果たした役割を想起するとき、また地球環境問題から人権問題に至るまでのこの国の積極的な平和戦略の影にある強烈な現実主義に改めて注目せざるをえない。
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だが、悪名高きイスラム勢力との同盟を「常識」ある欧米社会に呼び掛けるためには、「文明の衝突」論(ハンチントン)をはじめ、これまでイスラム勢力に浴びせかけられてきたあらゆる批判を論駁するに足る、全面的なイスラム勢力の像を描く必要があった。本書の大半は、そのために割かれている(もっとも本書は、淡々と自説を展開するのみであって、評者としてはまことに残念ながら、論争的なスタイルを取るものではない。たとえばハンチントンの議論への言及もない)。それは、次のような論理構成を取っている。
1)イスラムはもともと、一神教と原始的な福祉国家制度の導入によって、商人階級を中心にベドゥインの支持を得てアラブ社会を団結させるための、優れて政治的な企てでもあった。イスラム社会におけるバザールとモスクの結び付きは、私有財産の不可侵を前提とするベドゥイン的な平等主義と集団への忠誠、そしてピューリタン的生活様式とによって保持された。そしてこのようなイスラムの基本原理は、イラン革命や各国のイスラム主義勢力によって展開された最近のイスラム的な政治・社会批判の中で再現されている。(第2章、イスラムが社会に約束したもの)
2)このように商人と軍事力をもつベドウィンとの同盟によって、政治と宗教を一体化させる形で登場したイスラムは、やがて集権的な中央政府の官僚となったウラマー層と軍人層との同盟を基礎とする、絶対主義的な中央集権的支配を正当化するのに用いられた。しかし絶対主義的支配は、宗教としてのイスラムの結果ではなく、中東・北アフリカの経済・社会状態の産物であった。やがて中央政府から疎外された商人層やウラマー層は、軍人と官僚による中央政府の経済運営の失敗を批判してイスラム革命を主張するようになる。(第3章、イスラム社会における商人と軍人)
3)イスラムの経済原則は、私有財産の尊重、利子の禁止、リスク分担の原則、所得の再分配、浪費と怠惰の禁止などからなり、石油政策に適用されるならば、資源の節約と浪費禁止の観点から大幅な減産政策の採用ということになる。(第4章、石油とイスラムの経済原則)
4)1970年代から80年代の石油収入による公共部門の成長と軍隊の強化、福祉国家的政策の実現によって、ムスリム社会には軍人とテクノクラートによる新しい絶対主義国家が登場し、民間部門や商人階級は圧迫された。(第5章、石油とムスリム社会)
5)80年代半ば以降の石油収入の減少によってムスリム社会の絶対主義国家は、福祉国家的政策を継続することが困難となり、70年代以降の都市化と公教育によって形成された青年層の失業を解決できない。過去のヨーロッパで起こったような、軍人階級に代わる商人階級の権力掌握が課題となってくる。(第6章、ランチエ国家の危機)
6)しかし、政治的自由が抑圧されているために、モスクが政治的行動の唯一の回路となり、社会批判は、宗教的色彩をおびる。また、欧米化した支配階級に対する宗教的批判は、反欧米文化的な色彩をもおびるようになる。(第7章、社会的抗議と民族的自己主張としてのイスラム主義)
7)このような危機の結果として生まれるアラブ産油国のイスラム主義政権は、これまでの膨大な軍事費に示される浪費を止め、大幅な石油減産政策を採用して、石油市場を左右するようになる。さらに、国営企業による独占が廃止され、石油部門への民間資本や外国資本の参入も進むであろう。(第8章、イスラム主義と石油政策)
これらの論点は、そのまま第2章以下第8章(終章)までの各章の主題となっており、第1章で本書の「基本仮説あるいは前提」として列挙されている。
以上のような著者の論理展開は、形式的には、イスラムの基本性格論(第2、3章)、イスラムの経済原則論(第4章)、現代中東産油国体制論(第5、6章)、イスラム主義の基本性格論(第7章)、イスラム主義の経済(石油)政策論(第8章)という構造をもつ。すなわち、イスラムのそもそも論(第2〜4章)と中東産油国の社会構造とその危機の把握(第5、6章)を下敷きにして、さきに引用したような著者独自のある意味で楽天的なイスラム主義の性格規定(一般的規定としての第7章および石油政策に関する特殊的規定としての第8章)が導きだされるわけである。
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ここでもう一度、本書の核心をなすと思われるイスラム主義の性格規定を検討してみよう。 それは、「社会的抗議と民族的自己主張としてのイスラム主義」と題した、分量的には短い第7章において、それまでの議論を要約する形で展開されている。
すなわち、まず、オスマン帝国と西洋列強の植民地支配のもとでのイスラムの停滞と保守化、アラブ民族主義の登場とその重要性について触れたのち(第1節「歴史的背景」、第3節「民族的自己主張」)、石油ブーム以後の中東社会の問題点を、権威主義的政治体制をもつランチエ国家の危機として描く(第3節「石油以後の社会に約束するもの」)。
ただしここで、もともと利子あるいは地代を主たる収入源とする階級をさすフランス語のランチエ(rentier)ということばを冠したランチエ国家あるいはランチエ経済について若干紹介しておく必要があろう。この議論は著者のオリジナルではなく、すでに1970年代から産油国経済を特徴づけるために様々に議論されてきた概念である(もっとも著者のランチエ国家論は直接には、R.Pawelka, “Der Irak als ‘Rentierstaat’,” in Pawelka, P., Pfaff,I. and Wehling, H.-G.(eds.), Die Golfregion in der Weltpolitik, Stuttgart: Verlag W. Kohlhammer, 1991に依拠するもののようである。本書200ページ参照)。しかし著者は、これをさらにふくらませて、イスラム分析と産油国分析の鍵となる概念として用いている。著者によれば、イスラム教の創設者ムハンマドは、少数の有力商人と富裕なランチエ階級の権力のもとにあったヒジャーズ社会の分裂を克服するために闘った(本書105ページ)。そして利子の禁止といったイスラムの経済原則も、「ランチエすなわち有閑階級の台頭と闘い、防止するために」(同109ページ)定められた。ところが産油国の収入の根幹をなす石油収入は、「天然資源の商業的価値と採掘のための生産費用との差額」(同112ページ)として規定され、「人間労働や生産性に起源を持たないゆえに生産的所得とは質的に区別されるランチエ所得」(同111ページ)にほかならない。このような収入を利用する際に妥当するのは「ランチエ所得は生産的所得を駆逐する」(同135ページ)という法則である。こうして、石油収入に過度に依存する経済は、国家が支配する石油部門を中心に資本蓄積が行われ、石油以外の部門はすべて国家の石油収入に寄生するようになる「ランチエ的生産様式」(同154ページ)をとるようになる。その結果、国家は、何らかの正統性に基づく租税の徴収者ではなく、石油収入による貨幣の分配者たることに支配の正統性を根拠づけるような「ランチエ国家」(同200ページ)となる。石油収入の急速な増大によって突然発生したこのような国家を支配する新しい支配階級は、石油価格の変動と連動する石油収入の減少によって、貨幣の分配者としての役割を果たすことが困難になってくる。それに比例して、減少する収入の分配をめぐる紛争の解決が困難になり、ついには国内の貧困の増大から生じる緊張の爆発によって権力を失う。イラン、イラク、アルジェリア、サウジアラビアといった中東産油国の歴史的展開から、このような、発生、安定、没落、消滅の4つの段階からなる「ランチエ国家のサイクル」を抽出することができる。第4段階を経過したのはイランのみであるが、他の中東産油国もすでに第3段階にあって、第4段階への移行を目前にしている(同251−253ページ)。
このような中東の「ランチエ国家の危機」は、ヨーロッパやアジア、ラテンアメリカでの権威主義体制の危機と似た面をもつが、それらの場合と異なり、中東では、この危機からの打開の試みは、マルクス主義という表現を取らなかった。その理由として、反体制勢力の中心が、労働者階級ではなく、独立の実業家やバザールの商人や職人だったこと、私的所有を軽視するマルクス主義が私的所有を尊重するイスラムの信条と相容れないこと、中東ではマルクス主義が民族解放闘争の把握に失敗し、西欧的、あるいはソ連の政治的道具と見られたことが指摘されている(同274ページ)。こうして、「19世紀や20世紀のヨーロッパにおけるポピュリズムと驚くほどの類似性をもつ」(同276ページ)都市の中間層や貧困層の教育ある青年層を基盤とする、イスラム主義運動の重要性がクローズアップされる。政治的課題がランチエ階級の打倒と社会的分裂の克服と平和の実現であれば、それはムハンマド時代の状況と酷似し、イスラムがかつてないほどの社会的妥当性をもつ可能性がある(第4節「イスラム;政治への回帰」)。イランでは、その可能性はイスラム革命によって実現した。ウラマー層とバザール商人との同盟によるイスラム主義の国家体制は、少なくとも軍部の政治的影響力を排除することに成功した。この体制が持続して商人階級が有能な資本家階級に成長すれば、「ドイツあるいは日本モデルの金融・産業コングロマリット」(同286ページ)が成長し、利子の禁止と参加を通じてのリスク分担に基づく独自な資本主義の発展の可能性がある(第5節「イスラム主義国家とその経済」)。
イスラム主義がこのように現代の石油ランチエ階級――有限な天然資源である石油からの労働に基づかない所得に寄生し、イスラム教徒間の戦争のためにその所得を浪費して欧米から武器を購入している――の打倒を旗印とするものであるかぎり、その石油政策は、従来のものの継続ではありえない。原油採掘は国内消費と福祉政策の財源としての必要の範囲内に制限され、浪費を嫌うピューリタン的生活を基調とし、私的所有を基礎としながらも、リスクと利益とを分かちあう平等主義的な経済生活が追求されよう(第8章)。
以上のように、イスラム主義は、石油依存と軍備拡張的な権威主義体制のもとで腐敗し、社会的分裂と戦争のもとで苦しむ中東民衆を救う鍵として、評者のことばで言えば、勤労のエトスと社会連帯の実現とを一挙に実現する思想として、情熱と共感をもって把握されている。たとえば評者などはここからさらに進んで、イスラムにおけるピューリタニズムと資本主義の精神、といったマックス・ヴェーバー的な、あるいはイスラムにおける勤労と社会連帯、といったアダムスミス的な、より豊かな比較研究への道を拓く理論的な問題設定の可能性について改めて考えさせられてしまう。
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だが、著者ははたして現代イスラム主義の思想の中から実証的に勤労のエトスと社会連帯の実現とを一挙に実現する思想を検出できたであろうか。残念ながら本書は、そのような実証を課題とするものではない。イスラムにおける勤労のエトスと社会連帯の展望の問題は、ムハンマド時代のイスラム分析として提示されたのみであった。著者がランチエ国家の危機を打開する思想として現代イスラム主義を語るとき、その問題点が露呈する。
「問題は、社会的平等、支配者のアカウンタビリティ、そして世代間の紛争である。イスラムは妥協によって持続的な平和を実現する助けになるかどうか、これが問われている。・・・・・ムハンマド時代には、平和と団結のための道具は、一神教であった。今日では、平和と団結のためのもっとも適切な道具は、民主主義であり、対話と妥協からなる諸制度を作ることである。そして、このことはイスラムとちっとも矛盾しない。このような成果を達成するためには、ムスリム諸国家は、代議制の諸制度を発展させ、支配者が人民に対してその行動を明らかにする責任を負うようにさせ、同時に人権と政治的複数主義とを保障させる必要がある。」(同280ページ)しかし著者がすぐに続けて言うように、「経験の示すところによれば」、この点で「ムスリム諸国家は深刻な問題をかかえている」(同上)。その理由は、これまでの支配者たちによって「強固に構築されたコントロール・システム」およびそれら支配者に対する「外国の支持」である。けれどもこのことは逆に、イスラム主義者が民主主義の原則を尊重することを示すことによって人心を得るチャンスがあることを示している(同281ページ)。
これはあくまでもイスラム主義にとっての民主主義と人権という課題の提示であって、イスラム主義における民主主義と人権の分析ではない。著者のイスラム主義論は、あくまでも仮説設定の試みの枠を出るものではない。しかも著者のイスラム主義論に関する仮説は、ここに引用したように、民主主義と人権の保障までをも射程に収め、理論的に展望しうるものではない。そしてこの点が理論的に明確にされぬかぎり、本書が、現代イスラム主義に対して浴びせかけられてきた様々の批判や疑念を論駁し、欧米民主主義勢力とイスラム勢力との同盟を弁証する書物となることはできない。
とはいえ、イスラム主義の石油政策に関する本書の理論的展望は明確である。イスラム主義思想における人権や民主主義がどうであろうと、中東産油国のイスラム政権化が、石油の大幅な減産と武器輸入の減少をもたらす、という著者の仮説は首尾一貫しており、その政策論的含意は大きい。本書が壮大にしてユニークなイスラム・産油国論の試みとして各方面からの検討に値する書物であることは、まちがいない。