● 石川 佳代子 ●

強い陽射しに豆ご飯、乾いた印象のハバナ、かわいらしいおじいちゃん。。。と一部分ではあるけど実際触れることで自分にとって今まで遠くて得体の知れなかったキューバが実感をともなって近くなった気がするし、社会主義や途上国といったぼんやりとしていたものについて考えるいいきっかけをつくることができました。




● 小笠原 美幸 ●

いやー、長かったなぁ〜 というのがキューバから帰ってきてからの感想だった。思い返してみれば、ICAPでの炎天下での農作業と「配給」といった感じの食事、そこで出会った世界各国からきたあの人やこの人たち。ベトナム戦争に自ら出向いたイタリアの熱くて素敵なおじいちゃん、たーくんのマッサージ(東洋の神秘)に夢中だった新婚さん。インティさんやシスリさん、売店のお兄ちゃんたち。いろんな国から来たいろんな人たちが、毎日おんなじ敷地内で寝泊りして、おんなじご飯を食べて、朝早くから揃って畑仕事に出向く。あの頃は、慣れない農作業と食事と体調不良と闘うのに必死で毎日過ぎていったけど、今思い返してみると、なんだかすごくおもしろい状況だったなぁと思う。ICAPに着いたばかりのときは、“あと何日・・ ”と指折り数えていたけど、出発する日にはさみしいなぁと思ったりもした。
そんな後に行ったハバナはすごく都会に思えて、少し身構えたり、トイレに便座があることにびっくりしたり、“おいしいキューバ料理もあるんじゃんか!!”と思ったり。そしてICAPにいる間、“連帯”とか“協力”とかキューバ国民がみんな平等に助け合いの精神を持って、国を良くしようと頑張っているのだ・・ と聞かされていた私は、ハバナでの客引きの多さや、ドルをねだる子供やお年寄り、そして金銭トラブルなどに軽く面食らった。でも面食らうと同時に、ICAPで“本当にみんな自分の欲を抑えて、国のためにみんなのために頑張ろう、と思っているのかしら?”と疑問に思っていた私は“やっぱりそうじゃなかったんだ”と納得したり、“このまま突き進んだらキューバはどうなるんだろう?”と思ったりした。
キューバの医療費が無料というのは知ってはいたけど、キューバの人たちだけではなく、私たちがあんなにもお世話になるなんて思いもしなかった。思わぬところでキューバの社会制度に助けられた旅だった。みんなで出発前に冗談で言っていたキューバダイエットが本当に実現されてびっくり。早寝早起きも身についてなにやら健康的になったような気もする。
そして長かったキューバ旅行は、日本で以前は当たり前だと思っていたこと、熱いシャワーや蛇口から出る水が飲めること、トマトときゅうり以外の野菜が食べられること、日本の緑は落ち着いた渋い色をしていること、街を歩いていても珍しがられて声をかけられないことなどなどなど、いろんなことがいちいちうれしい発見だったりした。

それにしても、キューバの海はウソみたいにきれいで青くて、砂浜は白くて、やしの木が生えていて素晴らしく素敵だった。あんなにきれいな海に一年中いつだって入れるキューバの人たちが本当にうらやましい。青い海のそばにあった医療学校。たくさんの国の人を無料で受け入れて医療を学ばせる。中にはアメリカからきた生徒もいたりした。そんなふうに他国の人に無料で医療を学ばせるなんて、他のどこの国にもないんじゃないかと思った。
アメリカからの経済封鎖によって、食料が不足したり、他国との貿易がしづらくなったり、テロに怯えたりしなければならなかったキューバ。逆に経済封鎖によって、医療が発展したり、有機農業を取り入れることにもなった。観光客が年々増え、人々の生活にドルが入り込んできて、だんだん収入にも開きが出てきている現状と、学校で子供たちに教えられるキューバ式の社会主義の精神、ICAPに参加していた色々な国の人々とそこで聴いた講演、間近にある大国アメリカの政策、年々老いてゆくカストロ氏・・ これらの色んな要素がこれからどのようにしてキューバを変えていくのだろうか、これからキューバはどのように変わっていくのだろうか、と思う。




● 金子 裕美 ●

今回の旅では、本当に貴重な体験ができました!旅行に出発する直前まで行くかどうかかなり迷っていましたが、本当に行ってよかったぁと思っています!農業の大変さも体験してみないとわからないものでした。私たちがなにげなく食べているオレンジがあんなに手がかかっていたなんて知りませんでした。私たちが手伝ったオレンジ畑には農薬が使われていましたが、農薬が使われていなかったらもっと手間がかかるのかなとも少し思いました。有機農業が普通に生活に溶けこむには、やっぱり無理のない方法でないと溶けこまないのではないかと思いました。そして驚いたのが、有機農業を行っている農場が本当に町中にあったことです。車がたくさん通っている道路の横に農園が広がっていて、空気が汚くないのか疑問に思いました。そして有機野菜も、農薬を使った野菜も同じ値段だということに驚きました。日本で有機野菜と農薬を使った野菜が同じ値段だったら明らかにみんな有機野菜を買うけれども、キューバの人はどういう基準で選んでいるのだろう?
貴重といえば、日本でも救急車に乗ったことがないのに、救急車につめこまれたことです。スペシャリストのところへ行くというから、どんな大きい病院に行くのだろうと思っていたら、町の中にある病院でした。診察もされず血を採られ、キューバの医療に不安が募るばかりでしたが、結局私はキューバの薬に助けられたのでした。キューバの医療に感謝です!先生、あとICAPのドクターと看護婦さんありがとうございました!!
ICAPの中ではいろいろな国の人がいてキューバというかんじがあまりしませんでしたが、あのすごく広い空を見てキューバなんだなぁといつも実感していました。
今回の旅行でよかったなあと思うところは、田舎と都会、両方見られたことです。どこの国でもそうだと思うけれど、田舎と都会、全然雰囲気が違うので最初は戸惑いました。そして都会の空は狭かったです。あと、たくさんの人が声をかけてくるのにも驚きました。カリブの海の青さも感動だったし、モロ要塞から見た広い海も、海岸沿いの道から見た夕日も、キューバ美術もとてもよかったです!本当にとても素敵な19日間が送れました!下調べが足りなかったと思うことがよくあったので本や映画をこれから見たいと思います。




● 木村 真里子 ●

私はそもそも海外旅行というものに行ったことがほとんどなく、さらに今回の旅行では皆さんよりも1週間ほど日程を遅らせての参加だったということ、事前の勉強会にほとんど参加することができなかったなどのことからはじめは不安でいっぱいでした。けれど日本に帰ってきてからよく実感するのは、この旅行は私にとってとても重要な意味を持つ旅行になったということです。
キューバに行っていろいろな場所に行き、たくさんの人の話を聞いた中で、もっとも驚いたことは「1ドルは26ペソであるが26ペソは1ドルにはならない」ということでした。ハバナを訪れる前のカイミートでの日々では、キューバはとてもすばらしい国で、ドルもみんなでわけあって暮らしているといったようなことを教わってきました。けれども実際ハバナに行ってみるとけしてそのような状態であるとは思えませんでした。私はたびたび一人でプラド通りを散歩したり、旧市街を散歩したりしましたが、そのたびにいろいろな人に声をかけられました。郵便局までの道を親切に教えてくれた後、娘が誕生日だから葉巻を5ドルで買ってくれという人や、キューバのコインをドルコインと換えてくれという人、物乞いをする人など、アジア人が珍しいのも手伝ってか街を歩いていて声をかけられないことがなかったくらいでした。3ドルほどのアイスを学校帰りに買って食べている子供たちがいる。けれども1ドルほどのお金を手にするために、1時間近く私の道案内をしたり、知っている日本語を使って親しげに話しかけてきたりといろいろして必死になってドルを手に入れようとしている大人もたくさんいる。ハバナでのこの経験はカイミートで教わったことに深く疑問を抱かせてくれました。私たちからしたらたった1ドルかもしれませんが、キューバで裕福な生活を送ることのできない人々にとっての1ドルにはとても大きな価値があるのです。このことはただ話を聞いていただけでは決してわかるものではなかったと思います。実際に街を歩いて、街を見て必死になってドルを手にしようという人たちとコミュニケーションをとったことによって、私の中でリアル感が出てきたのです。
どこの国であっても決して自ら悪い部分をさらけ出そうとはしないと思います。けれどもキューバの人たちは情報が制限されているせいもあるのでしょうが、あまりにもほかの国がみえていないし自分の国をよく言いすぎているようにも感じることが多々ありました。私がこのように疑問を感じることができるようになったのは、自分にとってとてもよいことだと思います。この旅行をつうじてひとまわり自分が大きくなったように思いました。




● 轟 洋一 ●

ICAPの夕暮れ、心地良くないベッドに横たわる僕の前を守衛のおじさんが苦笑いしながら通りすぎて行く。扇風機の風は何回からだを往来しただろう。途方もない数だ。世の中の全てのやりきれない思いはあのギブスに集約されていた。
フィデル・カストロ演説 2003.9/1
「我々は気を落とすことなく、そして揺らぐこともなく、深く確信し、闘い続けねばならない。たとえ、人間社会が巨大な誤りを犯したとしても、そしてそれがいまだに誤りを作っていたとしてもだ。人間は最も高貴なる思想を抱くことができるし、最も寛大な感情も持つことができる。そして、自然が彼らに吹き込んだ 強力な本能を克服することで、確信し、感じ信じたもの対して命を捧げることができる。これは歴史を通じて何度も証明されてきた。こうした例外的な特質を育もうではないか。さすれば、そこには克服できない障害もなければ、変革できないものもないのであります!」
そして僕は五日目にギブスを切り裂いた。
全世界の人が揃って納得する政治や、すべての人が幸福になれる社会制度など在りえない。キューバにしろアメリカにしろ同じだ。現体制に批判的なキューバ人がいるのは事実である。しかしキューバはその特異な政治・経済状況ゆえに保持しえる、世界に欠けたものを提示しているのは確かだ。
フィデル・カストロ ユニセフ対談 2000.1
「発展した資本主義システム、それは現代の帝国主義の後から生じたが、ついに単純に持続可能でないネオリベラルとグローバル化された秩序を導入した。全く巨大な実際との生産とは無関係の架空の富とストックが産みだされ、推測の世界 を作った。同様に巨大な個人の資産、その何人からは多数の貧しい国々の国内総生産(GDP)を超えている。世界の天然資源と何十億もの人々の悲惨な生活の略奪と乱費に加える必要は何もない。 このシステムが人間に提示できることは何もない。それは、その自己破壊と、そしておそらく人間の生命を維持する自然条件の破壊にも結びつくだけだ。成長は、しばしば、本当の発展や富のよりよい分配に何も寄与しない消費財の蓄積に基づく。真実は、ネオリベラリズム新自由主義の数十年間後に、貧困層はより多く、ますます貧しいのに、金持ちがより裕福になっているということだ。」
現在、もしもキューバがアメリカの言うことを聞く自由主義経済の国だとしたらどうだろう。おそらく他の途上国の抱える貧富の膨大な格差や、食糧問題、医療問題等が存在するだろう。
すべての世界を包括できるオルタナティブな制度の手本がキューバだとは全く思わないが、世界の矛盾を突く国だとは思った。