● 松井 陽介 ●―キューバの音楽と踊り―

キューバで一番楽しかったことを挙げるなら、私は迷わず“音楽と踊り”と答えるでしょう。もちろんキューバ人にも踊らない人はいます。ですが音楽を感じ、体を動かす、という事がキューバでは日本のように“特別なこと”ではないんです。田舎では、ちょっとした広場に人々が集まって、昼間から子供からお年寄りまでが踊っている。たくさんの人が、子供のころから音楽が周りにある環境で普段から踊っている。だから、音楽と踊りは決して“特別なこと”ではないんです。つまり、あえてダンスを習おう、とか、音楽を聴きに行こう、と思わなくても、自分の周りに音楽と踊りがあるんです。
ところで、“ダンス”って何だと思います?私は音楽にのって、体を動かすことだと思うんです。自分が好きな曲を聴いていると、無意識の内に足や頭でリズムを刻んでいることってありますよね。私はそれが“ダンス”だと思うんです。色んなジャンルのダンスがありますが、結局はみんなその延長なんだと思います。今回キューバへ行って、改めてそう感じました。キューバで踊っている人はみんな、自分のやりかたで心から音楽を楽しんでいると強く思いました。
そしてみんな、周りの人の目なんて全然気にしてないんです。だけど良く考えてみたらそれは当たり前ですよね。例えば、プロのダンサーはダンスを見せてお金を貰う訳ですから、自分が楽しむよりも、見てくれる人を楽しませることが重要です。(もちろん自分も楽しい方が良いに決まってますが)だけどプロでもない人が周りの目を気にする必要なんて一つもないわけです。もちろんキューバ人はそんなことを考えて踊っているわけじゃありません。キューバでは、音楽を聴いて踊りを“楽しむ”ということが当たり前なわけですから。
ですが、ダンスを踊るより踊っているのを見る機会の方が多い日本から私としては、そういった価値観を目の当たりにすることがすごい新鮮でしたし、羨ましくもありました。
今回、自分が踊るのが好きだということもあって、ダンスの話ばかりになってしまいましたが、キューバで私が感じたものが少しでも伝われば幸いです。



● 三間 久美子 ●

キューバから帰ってきて、まわりの人たちに思い出話をする時に一番いうことは、だいたい決まっている…

<1.体調くずしたこと>
なんといってもこれ!旅先で必ずおなかをこわす私も(しかもたいがい、ひとりで苦しんでた…★)それだけじゃない、何とも言えないつらさがあった。しかも、ほとんど全員が苦しんだから、つらかったね(涙)。みんな生きて帰れて、本当に良かった!

<2.カイミート友好の家のゴハンの凄まじさ!>
なんで匂いだけであんなにテンションが下がったんだろう↓ あんまり書くと、よみがえってくるからやめよう。だいぶ慣れたけどさ。やっぱ日本人は味噌汁だっ!!!

<3.有機農業>
有機農業は本当にキューバに浸透しているのか、謎のままだった。私たちの毎日の食事には、たくさんの野菜があったわけではない。トマト・きゅうり・アボガド・いも・甘くないバナナ・スイカ・みかん・・・。オルガノポニコの給料は他の職業よりは低かった。ドルにもありつけない。さらに、あとで読んだ本によると、有機農業は国民をキューバの社会主義体制の枠内に留めておくためのものの一つらしい。

<4.海の青さと空の高さ>
やっぱりこれは、全然違った!どの国に行っても空と海の色は違うけど、キューバの海の色はほんとにふしぎな青。ちょっと人工的・・・?空はカーーーーンと高かった。ボールを投げたら、そのまま空に飲み込まれていくかんじ。 いつも晴れてて、日の出日の入りはほんとにきれい。カイミートでの初仕事の日、農園へ向かう時の朝日と、ハバナのカバーニャ要塞で(モロではなく!)見た夕焼けは最高でした。そして毎日、ちゃくちゃくと真っ黒に…。

<5.社会主義国キューバのふしぎ>
これは、何と言ったらよいのだろう。田舎:カイミートと都会:ハバナの違い=社会主義への事実上の資本主義の流入と言ったかんじ。葛藤と岐路にたつキューバの社会。行った人しか分からないだろうけど、実際のところ、行った人にもよく分からないことなんだろう。

あとは、ココタクシーや音楽、絵のこと・・・・などなど。
3週間、いろんなことがめまぐるしく過ぎていって、あっと言う間の旅行だったけど、その分たくさんの人がいて、たくさんの人と出会って、仲良くなって、とても楽しい旅行だった。これから先、こんな大人数でも楽しい、長期間の旅行なんて行くことなんてできるんだろうか。ゼミだから出来たことがたくさんある。有意義な旅ばかりだった。




● 八木下 優里 ●

キューバはとても不思議なところだった。都会と田舎、新市街と旧市街、ドルとキューバペソ、資本主義と社会主義、理想と本音、対局する2つのものがごちゃごちゃに混ざって存在していて、とても混乱した。
その中でも一番驚いたのが、都会と田舎の違いだ。カイミートのキャンプで、部活の強化合宿かと思うほどに過酷な生活を送った後で、首都ハバナに戻るとそこはもう別世界だった。ハバナは、私たちが普段日本にいて囲まれているものがほとんど揃っている観光地で、旧市街はスペイン植民地時代の建築物がそのまま残り、そこにいると自分がキューバというカリブ海に浮かぶ南国の島にいることを忘れ、まるでヨーロッパに観光に来ているのかのような気分になった。田舎で、ガイドの人たちや婦人会の人の話を聞いていたときは、キューバでの社会主義はかなり上手くいっているように見えた。最も重要である農業に従事する人たちは、医者よりも高い給料をもらい、外貨を手に入れる機会が多い旅行業に従事する人たちは、自分が稼いだお金を国に還元する。あまりにもできすぎた話にも思えたが、みんな喜んで、そして自然にそのシステムに従っているかんじがした。だけど、ハバナで、人と話したり、町を歩いていろいろなものを見たりしているうちに、やっぱり田舎で聞いたことは理想でしかない気もしてきた。自分で稼いだお金を、国に還元するのなんて嫌だという話も聞いたし、カストロに対する批判めいた話も聞いた。新市街には観光客の私たちにたかって、ドルを要求してくる人もたくさんいた。キューバ人と思われる人が、ドル払いでものを買っているところも見た。田舎では「1ドルは、キューバ人にとって一万円くらいの価値があって、1ドルのビールなんてとても飲めない」という話を聞いていた。
様々なものが絡み合ってキューバというところなのだろうけど、私は1つのものとしてのキューバの実態をつかむことが出来ないということをもどかしく感じた。またいつかキューバに行って今度こそは、自分の中のキューバのイメージ像を作り上げたい。




● 山本 安澄 ●

キューバといえば『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』という映画に出てくる80歳を過ぎても音楽に夢中なおじいちゃん、匂いがあまり好きじゃないけどどうやら有名らしいというラム酒、世界遺産に指定された石造りの重厚な建物から成る旧市街、そして社会主義国(社会主義国ってどういうこと??)。出発する前のわたしはキューバについての知識はこれぐらいしか持ち合わせていなかった。
しかし、わたしが思い描いていたキューバのイメージは初日から崩れていった。旅の前半、およそ10日間。わたしたちが泊まったICAPのキャンプ場は、濃い緑色の葉っぱをつけたオレンジの木が列を成して生えている畑の近くにぽつんとあった。見渡す限り、とりあえず他に民家はない。ただ、一本道がまっすぐにあるだけだ。さらに、わたしたちの部屋としてあてがわれた場所は、窓のない石造りの部屋。電気は一つ。クーラーなんてあるはずもなく、扇風機(しかも首が回らない!)が一つに二段ベッドが四つ。あとは壊れたロッカー。本当にそれだけだった。
日本の生活が染み付いているわたしは、最初かなり面食らった。「ここで10日か〜」、と初日から先のことばかり考えていた。
翌日、早朝5時に起床して、まず始まるのが、農作業だった。そう、私たちは、格安で泊めてもらう代わりに、その対価として、農作業などを行わなくてはならないのだ。そして、朝から農作業をしたことで、朝食をとることができる。(注:強制労働ではない)
はっきり言うと最初は草むしりのために、30分以上かけて遠くの畑にいくことに、うんざりしていた。日差しは暑いし、草はどこをむしればいいのか分からないくらいたくさんあったし・・・
でも、この作業にもだんだん楽しみを見出すようになっていったから、人間の順応性って不思議だ。まあ、順応性だけでなく、このプログラムのうまいな〜と思うところは、連続して同じ作業をさせず、蜜柑の木の剪定だったり、落花生集めだったりと、変化に富んだ作業を振り分けることにあって、実際はそのことが大きく影響しているのだけれども。
それでも、その日収穫したものが、夜ご飯に出てきたりすると、小さな発見をしたような気分になった。
このキャンプ生活に慣れてきた頃から、みんなの間で「シェア」という言葉がはやった。
キューバで私たちの面倒を見てくれているインティーさん達がしきりに連発していたこの言葉は、広い意味ではキューバ憲法でもっとも大切とされている「連帯」の精神のことを指すらしい。たとえば、ある人が観光でUSドルを手に入れたとすると、その一部を国に払うことで、国民に医療サービスや配給などで、還元されるシステムになっているらしい。確かに、キューバでは、農村地帯はもちろん、ハバナのような都市でも、あまり物乞いを見かけなかったけど、関係あるのだろうか。
それから、今回のたびでは、都市部にも行ったことで、キューバの別の一面が見れたことがいちばんよかった。
キューバでは、1993年に国民がUSドルを持つことを認めたために、USドルが観光業を中心に急速に出回った。また、キューバ政府が外貨獲得のために、USドルの使用を推進しているため、都市部ではほとんどの場所でUSドルが使える。むしろ、USドルで支払わないとダメなこともある。(USドルの値段に換算したほうが、売るほうはかなり得だから)そうした背景から、最近では社会主義国といえども、貧富の差がかなり出てきているらしい。USドルを使った商売や、観光業に対して、規制がしっかりしていないので、観光客はなんだか知らないうちに、ものすごい高額なドルを支払わされていたりするらしく、はっきり言って、ぼろもうけ状態の人もいるとか!
確かに、ハバナには、やたら豪華なお城みたいな家がたくさんあった!!
こんなことが、実際目で見て確かめられたことは、この旅の中でも、すごく印象に残っている。




● 米山 顕子 ●

初海外・初キューバで出発前は、ずっとそわそわ&なんか嫌な予感&ちょっと楽しみで落着かなかった。でも飛行機の中から見た朝陽がやばいきれいで、その時からは、楽しみな気持ちがいっぱいでどきどきしてた。
この旅行では綺麗なものを本当よくみた。空、海、人も綺麗!
ICAPの食べ物は本当無理だったけど、朝焼けも夜空もすごいすごい良かった!!看板もかわいかったし、今思うとあのだだっ広い原っぱ(?)も良いところだったなあ。ICAPではほとんど寝てたけど病人同士で遊んだり、すごい楽しかった。食堂のハエの量には慣れることはなかったけど部屋にいるハエはだいたい平気になってた。
本物のヤシの木も初めて見た。ヤシの木ってあんなに大きいものなのね。
わたしが体から忘れられないのは、なんといってもキューバのトイレ。腹をくだしてたから、かなりの回数をこなしたと思う。とっても思い出深い。知らないキューバ人の家のトイレを借りたりもした。キューバにつく前からうわさには聞いていた便座のないあのトイレ・・・。空港のトイレでチップおばさんに案内されて入ったら、そこにはもう便座がなかった。最初は戸惑ったけれどすぐに慣れた。ICAPのトイレはボットンと便座なしの二種類だったけど少し経つと、迷うことなく便座なしを使用。帰りのカナダでの一泊のとき、ホテルのトイレには違和感を感じた。だって便座があるんだもの。家に着いてからも便座があることで不思議な感じがした。
それと、子どもが異常に可愛い!!!全員可愛かった!全員あつく抱擁したかったけど勇気が無かった。マラソン大会のときに広場(?)にいた子どもたちともっと遊びたかったなあ。
カイミートで出会った、耳が聞こえない夫婦がいれてくれたコーヒーはすっごい美味しくて、しかもその夫婦が親切すぎて、“これは夢かもしれないなあ”と思ってた。キューバには、タカリも多かったけど親切な人ももっと多かった。
いつも感じていることでもあるけれど、この旅行で、“人って1人じゃ無理だな”とつくづく思った。1人だったら、洗剤も無かったし、ウィンクキラーも出来なかっただろうし、暖かい紅茶も飲めなかったし、のどぬーるも無かったし、ピザを作るゲームも出来なかったし、つぼ押しも出来なかったし、離乳食も手に入らなくてもっとヒモジイ思いだっただろうし、背中に日焼け止めを塗れなかったし、アレを夜用に交換できなかったし、ヨーグレットも食べれなかったし、一人で踊ってもきっとつまらなかったし(しかも虚しいと思う)・・・もっともっと書き出せばキリがないけれど、みなさんにありがとうって怒鳴りつけたい気分です!今これを書いているのが夜だからきっと気持ちが高ぶっています。4年生とは学校でも全然会えないし、三年生ともゼミが分離しちゃって滅多にあえないので少しでも会えるように後期からはちゃんと学校に行くことを決意しました!あともみサブを本当に作ったから是非暇なときにでも来てね〜