● 食事(表) ● 松井 陽介


<<キャンプでの食事>>

9月2日 9月3日 9月4日 9月5日 9月6日 9月7日 9月8日
朝食 ―――― パン
ミルク
コーヒー
グレープフルーツ
グレープフルーツジュース
パン
ミルク
コーヒー
グレープフルーツ
パン
スクランブルエッグ
ミルク
パン
ミルク
グレープフルーツ
ハムサンド
ミルク
パン
ミルク
昼食 カレーピラフ
コーンビーフ
ポテトチップ
野菜
ガヴァソース
豆スープ
ライス
魚のフライ
パン
チーズ
林檎のシロップ漬け
マカロニ
スープ
目玉焼き
ライス
コーンビーフ
かぼちゃ
豆スープ
パン
ライス
コーンビーフ
豆スープ
ハムサンド ライス
コーンビーフ
豆スープ
夕食 焼き豚
コングリ(豆ご飯)
青バナナのフライ
焼き豚
コングリ
青バナナのフライ
ハム
ライス
野菜
ライス
コーンビーフ
サツマイモ
ライス
魚のフライ
かぼちゃ
―――― ――――



<<ハバナでの食事>>

9月11日 9月12日 9月13日 9月14日 9月15日 9月16日 9月17日
朝食 パン
ゆで卵
ミルク
パン
スクランブルエッグ
コーヒー
果物
―――― パン
目玉焼き
コーヒー
パン
スクランブルエッグ
コーヒー
―――― パン
スクランブルエッグ
コーヒー
昼食 ライス
骨付きチキン
チンジャオロースー
チャーハン
八宝菜
チャーハン
ワンタン
春雨
野菜炒め
ツナピザ
コッペリアアイス
ピザ
牛肉のカルパッチョ
シーフードサラダ
スパゲティトマトソース
―――― チキンとロブスターのトマト煮
パン
夕食 骨付きチキン
ライス
パン
トマト
魚のトマト煮
ライス
パン
トマト
牛ステーキ
フライドポテト
ライス
―――― 魚と野菜の炒め物
トマト
―――― ――――

※ 空欄は諸事情により食事できなかったものと機内食





● ホテル(ハバナ)& ガイド ● 小島 菜穂


<ホテル>
なんといっても蝿がいないこと、白いお皿でご飯が食べられること、それが一番嬉しかった☆部屋によってまちまちだったけど、私の部屋はお湯が出て、とてもナイスだったし。体調の悪い子はお風呂に入りに来ていたり。便座があったっていうのも、忘れちゃならない重要ポイントですな。毎日タオルを取り替えてくれたしね。でも一度水が止まったね!!あれはびっくりしましたな。歯も磨けない、トイレも使えない、お風呂にも入れない!水って大切ね。みんな、音姫使って節水しよう!!

<ガイド>
(基本知識・・・インティーさん・シセリーさんはICAPの方で、アルマンドさんはハバナ大卒の日本語通訳の方。)
いやはや、本当にお世話になりました!私たちは、なかなか時間通りに集まらなかったり、次々に病人が出たり、(アルマンド自身も生水にやられたけれども。)きゃーきゃーとうるさかったり、農業を嫌がったり(笑)と、手のかかる集団だったと思います。実は、「お前らいい加減にしろよ!」と叫びたいのをぐっとこらえていたのでは・・。本当にお世話になりました。だけどそんな三人も、サルサTIMEになると、がらっと表情が変わるのです!仕事の顔から解放されて、とてもいい顔をしていました。印象的だったなぁ。アルマンドに誘われてジャパンナイトで一緒にサルサを踊ったけれど、腰に回された手が、とっても力強かったのを覚えています☆きゃっ。シセリーさんの旦那さまはバンブー似、という衝撃的な事実もありました。シセリーさん、お幸せに!!



● 町の様子(ハバナ) ● 米山 顕子


ハバナの旧市街は、世界遺産というだけありすごくきれい!どの建物も、ケーキみたい!なんかウェッジウッドっぽいとかも思った。すごい素敵。でも、ボロボロで崩れ落ちそうな建物もあった。そこにも人が住んでいたから驚いた。危なくないのかな?危ないよね??きっと地震とか起きたら本当やばいと思う。 もちろん、街の全部がヨーロッパ風の建物だというわけではなくて普通のビルがぼろくなってて廃墟みたいでこわいところもあった。ヨーロッパ風だと古くなっても素敵なままなとこが良い。東京のビルは古くなったら崩して建て直しが必要だし、美しくない。
キューバのファッションはどうも自分が好きな感じではなかったけど、古着屋さんはめちゃ楽しかったです。テンションあがりすぎて午後には動く力がなくなっちゃったくらい。日本の古着屋に比べて値段も相当安い!ワンピースは3ドル、シャツも1ドル〜とか。よこっちには負けるだろうけど相当買いまくった。レジにどっさり服を持っていったら、
店員さん「何人?」
わたしら「日本人。」
店員さんら「あ〜〜あ!」(やっぱりね!みたいな感じ)
ってされた。前に他の日本人もこんなふう(買いまくり)だったってことかな。
デパートらしきとこにも行った。デパートでは入り口からすこし入ったところに警備員がいて、入り口・出口がわけられていた。エスカレーターではしゃぐ子どもが最高に可愛い。ナイキとかスポーツメーカーが入ってた。客入りはあんま良くない感じだった。ちょっと人だかりができてるところは何かと思えば下着でした。やっぱ必需品だから・・・?中古じゃ嫌だしね。あと、万引き防止のためか、入る前にかばんを預けさせられるところもあった。ショーウィンドウに惹かれて入った店はハズレばかりだった(特におもちゃや!)。 どの店も、ショーウィンドウは華やかでも店内は品数が少ないのが基本だった。とはいっても日本出発前に、自分が思ってたような物不足(すごい悲惨なやつ)は感じなかった。女の子は普通におしゃれしていたし。
あと、驚いたのは、全く同じ品物(水とか)でも店によって値段が全然違ったこと!日本でも観光地や山の上だと多少値段が高くなることはあるけど、そんな度合いじゃない。
店員はちゃんと接客するというよりは、ほとんどほったらかし。それでも話し掛けるとみんな気さくでいい人たちばかりだった。キューバにいるとき、“チップもないのに日本の店員さんは頑張りすぎなんじゃないか?”と思ってしまった。
通りにはやたら犬が多かった。野良も、飼われているのもたくさんみた。昼間だというのに、たくさんの人がおしゃべりしたり、木陰で休んでいるのをよく見た。みんなちゃんと働いてるのかな。
昼も夜も素敵な街だったけど、明け方に屋上から見える街がいちばん好きだった。



● キューバ美術 ● 三間 久美子


もうすっかり毎日コートを着る季節になってしまって、(締め切り破りまくりでゴメンなさい!)キューバでの日々も、「夏の思い出」と化していたこの頃。ある本屋で、懐かしいゲバラの顔が描かれた極彩色の分厚い本を見つけた。開いてみると、ハバナの美術館で見た、ゲバラやホセ・マルティなど「革命の英雄たち」が超カラフルに描かれた絵たちがあった。即座に興奮。「まさか、あの美術館の絵が全部?!」と思いきや、載っていたのは、美術館の最後の部屋の一角にあった、カラフルでポップな英雄たちだけ…。広いひろい美術館の大半を占める、暗くて、見ているだけでグッタリするような絵は載っていなかった。
ハバナの美術館に行って一番驚いたのが、その絵の違いだった。それまで、街では、キューバの空と海の青さ、人々の温かさが伝わってくるような、カラフルな絵の具がたくさんのせられた絵ばかり見てきたので、その暗い絵たちは意外すぎた。スペインに支配されていた時代は西洋風な繊細なタッチの絵が多く、白人ばかりが登場する。ほとんど、全くといって良いほどキューバを感じない。革命直前の時代の絵は、人々が苦しみ抜いている姿がひしひしと伝わってくる。アメリカに弾圧されていた時代は、資本主義に対する強い対抗意識と自分たちの信念を貫くという強い意志を感じた。どれも、キューバの人々は素直に感情を絵に表しているように思う。ほとんど、笑って見ることはできない…。
なのになぜ、街の絵はみんなあんなに底抜けに明るいんだろうか…?街の絵は、とにかく色が明るくてきれいで、キューバ人の「キューバでの生活の楽しさ」みたいなものが前面に押し出されている。なぜこんなにも違うんだろうか? 商売品だから??美術館が国のもので大衆美術とは違うから??今がキューバにとって一番いい時代だから??
どれも、そうであるような気がするし、そうでない気もする。でも、どの理由も少しずつ当てはまるのではないか・・・と思う。
何にしても、キューバでは日本の何倍も絵を書いて発表する人がいる、そしてそれらは個性に溢れている…ということは、それだけキューバ人の感受性と表現力が豊かだということだ。絵は本当に描く人の内面を映し出す。どんな利害心が入ったとしても、純粋な部分で、キューバの人々の絵が、昔のように暗くならないように願います☆



● モロ要塞 ● 木村 真里子


<モロ要塞とは・・・>
旧市街のマレコン通りから対岸を見たときに見える要塞が「モロ要塞」です。モロ要塞はハバナのシンボル的な存在のキューバでもっとも有名な要塞なのです。この要塞は1589年に完成しました。カリブ海域で最強の砦と呼ばれて、厚さ20センチメートル、高さ20メートルの城壁がめぐらされています。1762年にイギリス軍により襲撃され、1年間にわたる立てこもりの末、キューバが事実上イギリス領となりました。1年後、スペイン政府はフロリダと引き換えにキューバを取り返しました。要塞としての必要性がなくなってからは牢獄として使用され、今は灯台として利用されています。

<交通>
ハバナからの交通は不便で、旧市街のラ・アバーナ・ビエハ地区から長さ733メートルの海底トンネルをくぐらなければなりません。海底トンネルは自動車専用で、歩行者・ココタクシーの通行は禁止です。さらにタクシー乗り場というものがないので、帰りは別の客が乗ってきたタクシーをうまく使うしか方法がありません。

<灯台>
モロ要塞のシンボルは灯台です。この灯台は観光客も登ることができますが、上のほうはかなり狭くて登りづらくなっています。また登ることができるのは当然ながら灯台の点灯時間の前までであるので、夜のいい景色を灯台から眺めることはできません。
灯台関係者の事務所のようなところのおじさんはとても愛想がよく笑顔がかわいかったです。なんでも横浜に3ヶ月ほど滞在したことがあるらしくて、日本人だということがわかると日本の国旗を見せてくれて、とっても親切にニコンの大きな双眼鏡を出してマレコン通りや隣の要塞などを見せてくれました。なんでも実際に船の航行管理を行っている場所らしく、アメリカ船の無線なども聞かせてくれました。無線を持っての記念撮影もさせてくれました。

<眺め>
モロ要塞からはハバナ・ビエハ地区が一望できます。ここから見る景色は実にすばらしかったです。昼間の活気あるハバナ、夜電気がともってからのハバナ、両方の景色をここから見るのがおすすめです。また私がモロ要塞に訪れた日は多少雲が多めだったのですが、海に夕陽が沈むところを見ることもできました。モロ要塞は海と夕陽の間にさえぎるものが何もないので、とても感動的な夕焼け・夕暮れを見ることができます。キューバに行ったら一度はいってみる価値のある場所でした。



● オペラ ● 佐能 由紀


キューバ時間9月14日に、3年女子有志とたーくんでガルシア・ロルカ劇場というところで Amalia Batista という歌劇を鑑賞しました。ほんとうはバレエを見に行ったのですが、その日はバレエ公演はしていなかったので歌劇でも見るかあ、というノリでみました。キューバの人はペソ払いらしいのですが、私たちは観光客用のひとり10ドルの席で見ることになりました。その席は、1階の舞台の真正面の前のほうの席でした。
オペラは午後6時ごろから始まって、2時間とちょっとあって、2回か3回休憩がありました。普段着(しかも農業とかしてきたからちょっと汚い)しか持っていなかった私は、そんな格好で行って平気かちょっと心配でした。でも、ほかのお客さんもスニーカーとかで普通の格好をしていたので安心しました。中にはドレスアップしているお嬢さんとかもいました。観光客席は結構埋まっていたものの、上のほうの階の席とかは空席がたくさんありました。日曜日なのに、と思いました。劇場はとても豪華で綺麗でなんだか壮大でした。こんなところで10ドルで歌劇が見れるなんて、贅沢な経験だと思いました。
オペラの内容は、ハバナに住むアマリアという女性が、サンディアゴ・デ・クーバというちょっと離れた街からきた青年と恋に落ちるのですが、結局最後はその男の人がほかの女性のところへ行ってしまう、という悲劇だったようです。サンディアゴ・デ・クーバというところは白人が多い街らしく、白人と、黒人と白人の混血の人との人種問題などをテーマにした作品だったらしいです。1936年ごろにつくられた、結構由緒ある話みたいです。なにはともあれスペイン語なので、見ている間は内容はまったくわかりませんでした。休憩のあいだにみんなでたーくんに、あれはどうなのこれはどうなの???と、たずねて内容をすこしずつ理解していきました。たーくんもあまりに早いセリフはわからなかったようでした。1幕目は物語の説明のためなのか、みんなセリフがとても多くて、その日睡眠不足だった私は眠くて「やばいやばい」といった感じでした。眠気覚ましのつぼ押しをしながら見ました。はじめに出てきたスレンダーできれいな女性がアマリアかと思っていたら違ったみたいで、つぎに出てきた黒人のメイドさんがアマリアかとおもうとそれも違い、結局アマリア間違いを3人くらいしました。ほんとうのアマリアはちょっとおばあちゃんみたいでした。ちょっぴり残念、でも歌はとても迫力があり素敵でした。歌う場面は歌詞がわからなくても楽しめてよかったです。2幕からは、相変わらずわからないけれどなんだかだんだん楽しくなっていきました。おもしろい役のひととかが出てきて盛り上げる場面では、セリフはわからないものの動作とかで思わず笑ってしまいました。そしてどんどんアマリアが不幸においやられていくかんじで、気がついたら終わっていました。
どうなることかと思ったものの、終わってみるとあっという間でした。悲劇だったけどある意味とてもおもしろかったです。オーケストラも本格的で、しかもマラカスなどを多用してキューバ風味になっていていいかんじでした。